僧帽弁閉鎖不全症

僧帽弁閉鎖不全症とは

「僧帽弁閉鎖不全症」は左心房から左心室に血液が流れる時に通過する弁に異常の起こる病気です。弁は2枚で構成された扉のような形状をしているのですが、その形がカトリックの司教がかぶる冠「僧帽」に似ていることから、その名がつきました。玄関扉が家の内側から外に向けてしか開かないように、僧帽弁も左心房から左心室に向かってしか開かないようになっています。

つまり心臓が収縮し、左心房から左心室に血液が流れる時だけ開き、一度左心室に入った血液は左心房に戻ってくることはできない一方通行の仕組みになっているのですが、この僧帽弁がもろくなったり、厚くなったりしてしまうことで、弁の閉鎖機能が悪くなり、本来の血液の流れとは逆に左心室から左心房に血液が逆流してしまいます。また、僧帽弁を支える筋に異常が起きた時も、同様に弁の開閉に支障をきたします。これらの病態を「僧帽弁閉鎖不全症」と呼びます。

血液が逆流するということは、きれいな血液を全身に送り出させる量が減るということを意味します。心臓がドクンと1回収縮した時に流れる血液量が減ってしまうわけです。動物の身体というのは実に賢くできていて、1回の収縮で不足であれば、心臓をもっと動かしてたくさん血液を流そうとします。簡単にいうと、ドクンドクンという心臓の鼓動を今までより速くして、血液を送るポンピングの回数を増やそうとするのです。

心臓が一生懸命働くことによって、全身には今までと同じくらいの量の血液が循環することになります。つまり、心臓が必死に働いているお陰でからだの他の部分には影響が出ないわけです。飼い主の目線でいうと、「症状がみられない」のです。

この自覚症状のない時期にあっても、定期検診を受けると「僧帽弁閉鎖不全症」が発見されるケースがたくさんあります。外見上は咳や呼吸困難などの症状がみられなくても、聴診器で心音を聞くと心雑音が聞こえます。また当然、心拍数の数値が上昇しているはずです。

初期症状

初期症状は「散歩の途中で座り込む」「寝ている時間が長くなる」といった程度で、飼い主も気づきにくいでしょう。中度になると「散歩に行きたがらない」「食欲が落ちる」「運動後や興奮すると咳をする」などがみられるようになります。さらに進行して重度になると、「ほとんど動こうとしない」「安静時にも咳が出る」「突然パタンと倒れる」「呼吸困難」などが起こるのです。

酸素濃度の低下によって、唇や舌などの粘膜が紫色になるチアノーゼを起こすこともあります。肺水腫や心不全を繰り返すうちに体力が限界を迎えてしまうことが「僧帽弁閉鎖不全症」のいちばん怖いところです。

心臓以外への影響

心臓と腎臓の病気は密接な関係をもっています。腎臓は血液中の老廃物を尿にかえる働きをしています。心不全を起こして血液の流れてくる量が減ると、腎臓は尿がつくれないため脳に危険信号を出します。すると「水分をたくさんとって血液をつくれ!」と、脳が命令を出すため、たくさん水を飲むようになります。しかし水を飲んでも血液は心不全のために思うように流れません。そのまま腎臓で尿をつくれない状態が続くと、毒素がからだにたまり「急性腎不全」を起こして命を落とすことがあります。適切な治療を受ければ「腎不全」は回避することができます。

誘発する病気

明らかな外見上の症状がないまま「僧帽弁閉鎖不全症」が進行してしまうと、血液を送り出すために必死に働いた心臓は疲労こんぱいの状態になります。心臓の力が弱まり、心臓から血液が流れ出ていかないわけですから、血液が心臓にたまり始めます。よく「心臓が大きくなる」という表現を使いますが、送り出せなかった血液の量が増えた分だけ、心臓が血液を含み、膨らんだ状態になることを「心臓が大きくなる」と例えているのです。

心臓にたまった血液は行き場を探して、肺に流れていきます。最初は肺の毛細血管に血液がたまっているのですが、それも限界を超えると、毛細血管から血液中の水分が溢れ出て肺の中にたまり始めます。これが「肺水腫」と呼ばれる状態です。肺の中の組織が水浸しになり、呼吸がうまくできません。この時レントゲン撮影をすると、肺が真っ白に写ります。毛細血管から水が漏れ出す現象が胸で起こると「胸水」、お腹で起こると「腹水」という診断をされます。

こうして心臓がからだに必要な血液量を送り出せなくなった状態を「心不全」と呼びます。「心不全」は人間の中年期では死因第2位にのぼるほどで、犬においても命にかかわることの多い状態です。

検査方法

心疾患の確定診断は、身体検査とレントゲン検査のみでは困難であることがほとんどであり、初診時には心臓超音波検査も必須となります。また、心雑音は一般的に先天性心血管異常、弁膜症や心筋症などの心疾患に関連して聴取されますが、心臓に器質的異常がなくとも無害性雑音や貧血時などに聴取されることもあります。心疾患を特定しにくい場合や心雑音の原因が明らかにならない場合に、循環器に関する精査を実施します。

心臓超音波検査では、左心房、左心室の大きさと心臓の動き、腱索の断裂の有無、僧帽弁の中隔尖および壁側尖の接合の状態(弁の閉じ具合)、三尖弁逆流速値の測定値を評価します。心臓機能評価は、僧帽弁閉鎖不全があるために正しく評価することは難しいため、特に心臓形態と腎臓機能を慎重に評価しています。心臓の各心房心室の拡大具合を評価することにより、心機能を反映する要素としてのうっ血の程度を推察します。また、肺高血圧症も右心系拡大の原因として考えられ、術中および術後の回復や投薬計画を立てるために評価します。

僧帽弁閉鎖不全症の治療方法

外科的治療法と内科的治療法があります。
軽度な場合や飼い主様が外科的治療を望まない場合には内科的療法を行いますが、完治を目指す場合は外科的治療を行う必要があります。

本項では外科的治療法についてお伝えいたします。

外科的治療法

■麻酔

こ麻酔は、前投与としてアトロピンを筋肉内投与し、ミダゾラム、鎮痛剤としてフェンタニルを静脈内投与します。抗生物質は挿管前にセファゾリンを静脈内投与し、その後は8時間毎に同量を投与します。麻酔導入はケタミンにて行い、気管チューブ挿管後、イソフルランにて維持します。
麻酔中のモニターは、心電図、SpO2、end-tidal CO2、イソフルラン濃度、直腸温、食道温、尿量について行います。
大腿動脈ならびに大腿静脈に血圧測定用カテーテルを留置し動脈圧、静脈圧を経時的に記録します。人工呼吸器を用いて100%酸素下にて換気し、イソフルラン濃度は1.8~2.0%で維持し表面冷却法によって体温を低下させます。体外循環時に血液凝固を防ぐためヘパリンを静脈内投与し、活性凝固時間 (ACT) が300秒以上に延長していることを確認してから体外循環を開始します。体外循環中は人工肺からのイソフルレン吸入麻酔にて維持します。

■手術法

僧帽弁修復術は左側横臥位で行い、頸部、胸部および右側大腿部に切開を入れます。右側大腿部の切開は、血圧のモニターのためにカテーテルを鼓動静脈にそれぞれ留置するために行います。頸部の切開は、体外循環用のカニューレを挿入するために行い、頸動脈内に6–8Frの送血カテーテルならびに頸静脈内に8–12Frの脱血カテーテルを留置し部分体外循環を開始します。体外循環中は体温を25–28℃に維持します。胸部の切開は心内操作のために行います。定法に従い第5肋間で開胸し、心膜切開します。

大動脈起始部に心臓保護液注入用カテーテルを留置し、心臓保護液としてミオテクター® 20ml/kgを20分毎に注入して心停止させます。心停止後に左心房切開を行い僧帽弁の観察を行い中隔尖の腱索断裂の有無を確認します。僧帽弁弁輪部は、縫縮前に弁輪径の計測を行い、僧帽弁弁輪部をポリテトラフルオロエチレン縫合糸による連続縫合で縫縮します。僧帽弁の腱索は、壁側尖のM2付近と前乳頭筋にポリテトラフルオロエチレン縫合糸を使用して腱索を再建し、さらに中隔尖S1とS3付近にも同様に腱索の再建を行います。

心停止時間はおよそ90分程度です。心拍再開後、経食道心臓超音波検査にて僧帽弁逆流の軽減を確認し、定法に従い閉胸します。閉胸後は、体位変換を数回行い血圧が安定しているのを確認した後に、大腿動脈圧測定用カテーテルを抜去し、自発呼吸の再開を確認後覚醒させ、酸素室へ移動します。術後は、抗生剤および低分子ヘパリンを投与し、循環器薬を必要に応じて投与しますが、多くの場合は休薬します。術後の回復が順調であれば術後1週間程度で退院させます。

■僧帽弁形成術への考え

僧帽弁閉鎖不全症の根治療法として僧帽弁形成術は有効な方法と考えます。
しかし、完全に逆流が消失しない場合もあるので手術前に必ず説明するべき要点です。僧帽弁形成術後に逆流が残存する原因として僧帽弁そのものの病変の程度、人工腱索の長さならびに弁輪縫縮後の適正弁輪径の調節の曖昧さと難しさが挙げられます。
僧帽弁の病変は、中隔尖と壁側尖の弁尖の咬合を悪くします。病変部の切除による整合面の適正化も考慮されます。

しかし、小型犬の小さな心臓の弁尖なだけに弁尖切除による有効弁面積の縮小がかえって不利結果をまねく可能性があるので実施していません。適正な人工腱索の長さは、僧帽弁弁輪の弁輪径と僧帽弁の病変を考慮して決定されます。このため、主観的判断に頼ることが多くあります。弁輪縫縮後の弁輪径は大動脈の径よりも大きく、拡張した左心室の弁輪径よりは小さくすることで上限と下限が規定されます。現在当センターではその上限と下限の中間と中隔尖の面積を考慮に入れて弁輪径を規定することが多くなっています。

■術後検査所見

術後1–3日は状態が不安定は症例もいますが、年齢が若い症例や心不全の程度が軽い症例においては術後すぐに回復し良好となることが多くなっています。手術1ヵ月後の検診では、一般状態の著明な改善が認められ、発咳、チアノーゼ等の症状も改善します。
咳に関しては概ね頻度が減少しますが、手術時の気管挿管の影響からか持続的に咳がみられることもあります。術後3ヵ月の聴診において、左側心尖部からの心雑音が軽減していることが多いです。
X線検査において、心陰影は術前より縮小し、気管の挙上および肺水腫の改善が認められます。超音波検査では、僧帽弁逆流の著しい軽減と左心房径の縮小が確認されます。

■術後の回復

僧帽弁修復術後の回復は、年齢によって異なる印象を持っています。10歳以下の症例では術後すぐに食欲が回復し、その他合併症の徴候もほとんど認められないことが多く、退院までの日数も比較的短い。これに対して10歳以上の症例では食欲の回復までに数日を要することもあり、また、10歳以上の症例では、末梢の浮腫、血栓症、消化器症状などを示すことがあり退院までの日数が長くなることもあります。

したがって、10歳以下の症例ではほとんど問題なく術後を経過しますが、10歳以上の症例ではかなり複雑な病態を示すこともあります。このため、心臓外科の症例でありますが、術後管理においては内科的総合力を問われることが多いと感じています。

この状況に対応するためには循環器の専門的知識だけでは対応できないことも出てくるので術後管理には総合的な内科力が必須の条件となります。

循環器の内科・外科に加えて特に神経科、消化器科、腎泌尿器科、血液科は極めて重要な要素です。

僧帽弁修復術を行った後1年は、1、3、6、12ヵ月で検診を行い、その後は半年おきに検診を行い経過観察するようにしています。術後3ヵ月までの間は血栓症に伴う神経・運動器および他の臓器の異常がないか、また、術前からの併発疾患についてもかかりつけ医の協力を得て観察しています。

内科的治療法

軽度な僧帽弁閉鎖不全症の症例や飼い主様が僧帽弁修復術を望まれなかった場合は、内科的管理を主体にご提案しております。僧帽弁閉鎖不全症の病勢把握のため定期的もしくは必要に応じて精密な検査を行い、飼主様のご要望に即した治療プランをご紹介動物病院様のご協力のもとにご提案することが可能です。

手術体制

当センターでは、通常8名体制で手術を行っています。その内訳は、麻酔医1名、執刀医1名、助手1名、器具助手2名、体外循環担当1名、記録看護士1名、外回り看護士1名です。どの担当もトレーニングが必要であり、獣医師は少なくとも3年以上の経験を必要とします。

各役割を誰もできるようにローテーションでトレーニングを行いながら周術期全体を全員で監視できる体制を築いています。

当センターの実績

2016年12月時点のデータとなりますが、僧帽弁修復術の72時間生存率は94%、術後1ヵ月の生存率は92%です。

術後の成績をよくするためには早めの外科治療介入を想定した内科治療が必要であり、僧帽弁修復術を広く認知してもらう必要があります。